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マンUとCR7、袖を分かつ。


マンU、ロナウドとの契約を双方合意により解除と正式発表 「直ちにチームを離れる」(FOOTBALL ZONE) - Yahoo!ニュース

 

ワールドカップ期間中ですが、言われていた通りの結末を迎えましたね。残念でもあり、やむを得なしという気持ちもあり、複雑な気持ちになります。

 

F1で4度のチャンピオンとなり、「プロフェッサー」と言う異名でも有名なアラン・プロストが、1991年の最終戦を前に、フェラーリを解雇されることがありました。

 

前年の1990年にマクラーレンからフェラーリに加入し、マクラーレンのセナと壮絶なチャンピオン争いをして、惜しくも敗れたわけですが、1991年のフェラーリに対する期待は、チーム内外から非常に大きく、フェラーリが1991年の大本命とされていました。

 

しかし、フェラーリは1991年は大失速。チャンピオン争いどころか、優勝もポールも無しという散々たる結果に。それに対して、エースのプロスト教授は、メディアを巧みに利用し、シーズン中からチーム批判を繰り返していました。

 

プロスト的には、

叱咤激励」、「チームの尻を叩く」

の意味もあったと思いますし、その時点で3度のワールドチャンピオン。歴史的なレーサーでしたから、発言権とその影響力はとても強いものでした。クリロナも同じで、彼の一挙手一投足は世界から注目されてしまいます。

 

しかし、日本グランプリ後、

「今年のフェラーリは赤いカミオン(フィアット社のトラック)だ。」

という言葉を口にしたのが最後。フェラーリ本社、親会社のフィアット上層部の堪忍袋の緒が切れ、1992年も契約延長していたにも関わらず、1992年の年俸分を払うからお前は首!という結末を迎えました。

 

フェラーリフィアット)からすれば、自社のF1マシンとトラックの両方を皮肉られた形でしたから、流石に我慢ならなかったのでしょう。

 

これは私の邪推なんですが、ロナウドマンチェスターユナイテッドの批判をしたこと、これは1991年のプロストと近い狙いがあったのでは?と考えます。

 

恐らく、プロスト教授もクリロナも解雇と言う形でも、契約解除に至り、自由に移籍出来る状態にしたかったのでは?と考えています。

 

プロスト教授の話を続けさせてもらうと、1992年からウィリアムズルノーが圧倒的な強さを発揮する様になり、フェラーリは数年間の低迷の時期を迎えます。

 

プロスト教授は、1992年の早い段階でウィリアムズとコンタクトを取っており、早々に1993年のウィリアムズ入りを決めています。そして1993年で引退をするわけですが、4回目のワールドチャンピオンを獲得して、その輝かしいレースキャリアにピリオドを打ちました。

 

フェラーリからは違約金を貰い、1992年は浪人の形にはなれど、自由に色々なチームと交渉出来る。その結果、最強チームのシートをGETする…こんな芸当出来るのは、相当な実力者しか無理ですが、プロスト教授は実現させました。

 

クリロナにしてみたら、むしろワールドカップ前にでも解雇して欲しかったのではないでしょうか。彼はワールドカップ本大会で、再び自分の価値を証明する自信があるのだと思います。

 

クリロナが全盛期からは衰えていることは間違いないありませんが、その変わりに蓄積された経験値がありますし、良くも悪くも自分に対する絶対の自信、ストイックにフィジカルを鍛える面には、いささかの衰えも感じません。何より残してきた「数字」が、彼の凄さを物語っています。

 

ワールドカップで再び自分の価値を証明することで、むしろ自分を解雇したマンチェスターに、一泡吹かせてやろうという気合で満々なんじゃないでしょうか。

 

…個人的な推論を長々と申し訳ありませんが、仮にそうだとしたら面白いと思います!

 

クリロナの最近の言動は、マンユーファンとしては怒り心頭だったし、彼を尊敬する者としては悲しかったですが、選手もチームも自分で決めた道を進み、各々が求めている結果を得て欲しいと思います。

 

マンチェスターユナイテッドは、生まれ変わっている最中です。ネームバリューに拘ることなく、チームに貢献してくれる選手を獲得して、長期的に安定して強いチームを築いていって頂きたい。