気楽に行こうぜ〜♫ 

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ほぼ毎度思うことなんですが


逮捕された19歳の女の母親が激白「娘はずっと寂しかったんだと思う」「入れ墨を入れた男の子を家に連れこむようになって…」「小さい頃は優しい子だった」〈旭川17歳女子高生殺害〉(集英社オンライン) - Yahoo!ニュース

 

家族(子)が犯した凶悪犯罪に対して、家族(親)の言葉が出ることは珍しくないけど、これは私の勘違いなのか!?なんか事の重大さをわかっていない、何処か他人事の様な発言をする親が多い印象。

 

今回の件も同じ。内容が何処か他人事な感じだし、

『◯◯なの。』

っていう語尾が非常に気になる。

 

これて聴き取りしたまま書いてるわけですよね?記者が何らかの意図を持ってそんな語尾にしたとか?

 

確かにマスゴミの特権意識というのだろうか。行き過ぎた取材合戦というのは、対象が犯罪被害者・加害者の関係者関係なく、凄く目障りに感じることは多い。それも自分がテレビを見なくなった理由の1つ。

 

本当に知りたい情報や切り込むべき巨悪や闇には入りこまないくせに、弱い立場にはとことん強い姿勢で行く連中って、本当にイライラします。マスゴミや身勝手な犯罪者ってそんなのばっかりな印象である。

 

ただ、特に子供として扱われる年齢の人間が犯した罪と言うのは、やはり親の責任を問われるのは仕方ないと思う。

 

子供からすれば、1番深く関わる人間は親であるし、人生の基盤は当たり前だけど家庭ですからね。

 

絵に描いた様な完璧な家族関係なんて言うものはなく、何処の家族や家庭だって大小様々な問題を抱えていると思う。

 

自分だって親は離婚しましたし、もう最後の何年間は家庭崩壊していましたから。。。

 

その問題にどう向き合うか。家族と向き合うかによって、得られる経験に違いが現れるのだと思います。

 

離婚して片親であることは問題ではない。だったら私もそれに当てはまってしまう。そしてある時期までは良い子だったと言うのも、1人の人間の人生を通した人間性を保証するものではない。

 

良くも悪くも付き合う人間や経験の内容によって、人間性も変わってしまうと思う。付き合う人間を判断する目を身につけるためにも、学校という場は存在価値や理由があると思える。

 

やはり、この親にしてこの子ありと思うことは多い。ススキノの首切り殺人もそうである。

『私は娘の奴隷でした。奴隷契約書を書かされた』

いやいや、だから自分の罪が軽くなるとか、無くなるとかはありえない。

 

娘に逆らえず、服従する立場になっている事自体が異常なのだから。むしろそれに気が付かなかったのか。気付こうとしなかったのか。

 

異常な親子関係の末路が娘の殺人、それとグロテスクな趣味嗜好に繋がったとしか思えない。いや、親自身の人間性自体もやはり普通ではないのだろう。

 

ススキノの事件については、被害者も相当ろくでもない人間だった様で、被害者もその育った環境や人生はまともではなかったのだろう。

 

今回の旭川も同じ。

『娘は寂しかったんだと思う』

といつ気がついたのだろうか。そう思ったのなら、母親として何かしたのだろうか。

 

そして、寂しいなら人を殺めて良いのだろうか。

 

気が滅入るのは大いに結構だが、事実上娘の人生は終わりを告げたわけだから、最後くらい親として、その責任を取るべきなのでは。

 

責任と言うのは、娘の犯した罪を共に背負い続けること。娘の人間性の基礎を築いたのはまず自分達親であることを理解すること。出来るかわからないが…

 

私の好きな言葉の1つに

蛍雪の功

という言葉があります。

 

簡単に意味を説明すると、どんな厳しい環境であっても、勉学に励む事から逃れず、やがてそれが成果となって現れるという意味です。

 

他にも色々と同義語はありますが、私はこれらの言葉を拡大解釈というか、都合良く解釈していて、

『環境を言い訳にするやつはどんな環境でも文句言うし、しない人は環境の責任にはしない』

と。

 

人生は学ぶことが多い。それは学校の勉強だけではない。

 

今回の旭川の加害者は、人として余りに学んできたことが幼稚かつ悪質だったのだろうと思う。シンプルに愛情不足が全ての始まりなのだろうか。。。

 

蛍雪の功に間して、無論、それは自分自身を考える時も当てはめてます。

 

どんな苦しい状況でも、生い立ちでも、環境でも、勉学に励む人、仕事に集中する人、周りに流されない人…私は尊敬します。

 

そんな人に今までの人生で何人か出会ってきたし、これからもそんな人に出会い、逆境の中を強く生きてきたその姿を見本にして行きたい。

 

自分は尊敬される側ではないと考えていますが、

『悪の道にはどんなことがあっても走らない』

これだけは唯一自信を持っていたい。