⚠ 1ヶ月以上前に書いた記事。文中に出てきます通り、銃撃事件1週間後くらいに書いた記事です。宗教の話題は色々と気を使うので、アップするかどうか悩みましたが、昨日の会見を見て、疑問と不安と嫌悪感マシマシなんで…アップじゃ〜
容疑者を庇う人がいたり、報道の仕方に疑問を感じたりして、やはり自分の考えを述べたいなと思い、アップしました。
山上容疑者の母「息子が大変な事件を起こし、申し訳ない」…入信先の宗教団体は批判せず https://www.yomiuri.co.jp/national/20220714-OYT1T50191/
容疑者の母親に、聞いてみたいことがあります。
「幸せは得られましたか?」
と。
息子の行い、これまでのご自身の人生を見つめてみて、良いことばかりだと言い切れるなら…ある意味では、信仰して幸せだったと言えるでしょうね。
その代償として、人として大切な
「感じる心、頭で考えて理解する能力」
を失ってしまっていると思いますが…放棄したというべきか。
逆にほんの僅かでも、何故私は信仰に走ってしまったのだろう…と自問自答、自責の念に、少しでもかられているのなら…
⚠ 第一声が、事件を起こした息子でも、被害者である安倍氏やその家族でもなく、統一教会に対して申し訳ないと思っていると発言したようで‥駄目だこりゃ。
時間は元に戻せないし、亡くなった方が生き返ることはないですが、大きな過ちを犯した息子と真正面から向き合い、息子の胸の内を
「母親として」
全て受け入れるべきかと思います。
犯人を庇うつもりは毛頭ないですが、一人の人間の人格形成に、家庭と親が深く関わるのは否定しようがありません。息子に自分の過ちの重さをわからせるために、親らしいことを1つくらいすべきじゃないかと思います。
相反する考え方ですが、人の心は強いようで弱い、弱いようで強い。私はそう思ってます。心ってアンバランスで繊細。だから扱い方が難しい!
苦しい時は、何かにすがりたい時もあるでしょう。心を豊かにするための手段として、信仰心を持つことは良いことだと思いますが、周り、ひいては自分を見失ってしまう信仰は危険です。最早、それは信仰ではない。
反対に信ずるものは己のみ!もデンジャラス。人の言葉に耳を傾ける姿勢も必要です。それを受け入れるかどうかは別としてもね。
安倍氏銃撃事件から一週間以上経ちましたが、事件に関する様々な情報が出てきていますね。
「宗教と政治」
これは安倍氏の事件を抜きにして、考えなければいけないと問題だと思います。
日本には、政教分離の原則がありますが、果たしてそれが厳格に守られてきたか…??
私の答えはNOです。明らかに宗教が、政治(経済や社会にも)に食い込みすぎてる。
「宗教が政治に絡んじゃ駄目なのか?」
…駄目です。何故なら、そうすると特定団体の意志や思想が政治に反映される危険性があるのですから。
国家権力にあまりにも偏った考え方を持ち込むこと、これは極力排除すべきだと思います。三権分立はバランスが最重要。いや、国家権力のバランスを保つための三権分立なのではないでしょうか。
集金システムだ!組織票確保だ!そんなことのために、政治と宗教が親密になるなんて…いい加減にしろと言いたい。
統一教会だからとか、そんな問題ではない。
「政治と宗教の関わり方」
それを見直さなければいけない時が来たんだと思います。
これは日本だけに限らず、宗教問題は、触れることが大変難しい案件ですが、国として、日本国民として、置き去りにしては行けない問題だと思います。
何か事が起きてから、犠牲者が出てから対応するのではなく、未然に防ぐことの重要性と難しさ。それを最近強く感じています。
やったもん勝ちとか、悪名は無名に勝るといった風潮が強くなっている気がします。これは危険だし、ウザったいし、イライラします。
自分がやられて仕方ないと言ってる様なもの。危機意識と想像力のない、自分は頭が悪いと言って何になるのだか。
悪名なんか一番不要な「名」ですよ。
美名>無名。悪名なんて必要ない。
「轟かせるならば美名のみ」
これが出来ないやつは、芸能人やユーチューバー、snsはやらん方が良い。無名のままの方が、害もないし、有益。ましてや犯罪行為など、何一つ良いことはない。
私は人畜無害、無名のさすらいブロガーの端くれとして、これからも細々と意見を述べるのみです!(笑)